昭和生まれ育ちのの人間は履歴書しか書けない。本籍地や出身地、性別欄とかあるやつね。いま就職しようと思ってさ履歴書探すと本籍地も出身地も性別も書かないんだね、しかも職務経歴書を書いたら履歴書は不要とかパソコンで書けとか指定があるそう。たまに相手先が手書きでと指定することもある。
人となりを判断するのに手書き履歴書がよいと思うのだが。まあ採用者、経営者の人への見方だからなあ、合わせるしかないか。パソコン使用、職務経歴書では人の能力は見えない、判断できないんだけど。平成を生き抜いてきた人間の思いだけど。
写真もカラーではなくフィルム・白黒でないと人の表情は見抜けない。モノクロと銀塩写真の区別がついているのかな。更にカラー・パソコン印刷ではね。まっ他人事だからどうでもいいけどね。手書きだよ、上手下手は関係ない。人を見抜くにはね。
確かに便利な世の中になったのは認める、けど何かが抜けている。エクセルがスプレッドシートに代わっているのを感じなきゃ、認めなきゃ。エクセルの枠の中だけで人の評価をしていた平成前期からスプレッドシートの枠の中だけで人の評価ができない人になり替わっていることに気づかなきゃ。令和世代は…とか言うけどどんどんと生き抜くことが難しくなっていることに気づかなきゃ。
まあ、長生きしてねとしか言わないわ。
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