親ガチャ聞いて最初に思ったこと。いったい誰が、何を言っているの?でした。世の中が分かり始めた子供もどきが言っているのかなでした。生まれた時から親に虐げられている子が言っているのかなと思っていました。もし子どもが言っているのなら、いったい誰と較べているの?ですね。幼稚園を過ぎて小学校過ぎて中学生前後かな?言っているのは。大人の年代の人も言うのかな?この言葉。
”親ガチャ”俺が不思議に思っている言葉になっているのは、俺は親の愛情を一心・一身に受けて育っているからだろうね。親は、出来ることは精一杯やって育ててくれたから。それを感じて育ってきたから。
俺、九州の片田舎、まだ”村”と呼ばれていたところで産まれた。飲む水は井戸水と沢水だったな。水道ポンプが普及し始めた葉境期で水道ポンプだったのを覚えている。兄弟もいるし、中学生の頃に上水道が普及し始めたけど日常は水道ポンプ。水質が悪かったので新しい下着が黄ばんで恥ずかしかった小学生時代だったなぁ。歯並びも悪く、黄ばんでいたなぁ。トイレもポッタン便所で野壺があって、月1~2度父親が桶担いで野壺に行っていたなぁ。当然、お風呂は五右衛門風呂で沸かし役は俺だった。村には産業と言う産業は無く、農業だけ。そんな時代に俺、俺達は育ったよ。両親は農業をして汗だくで働いていた。
”親ガチャ”という言葉が不思議に思うのはそんな背景があるからかも知れないね。同級生の中には当然に親がいない者もいたし、不思議でもなかった。同級生は友達だから、遊ぶ仲間だし、同級生・友達は大事だし、お腹が空いたら山や畑で果物・野菜をお互いに食べて魚釣りをしていたよ。お金がある家の子は野球やサッカー、バレーボール、卓球していた。中学生になると奮発してバスケットや水泳、バトミントンなど用具にお金がかかるスポーツや習い事を始めた。俺は?卓球。
親はできることは一杯やってくれていた。お金を稼ぐことは大変なことなのに。親は自分の身を削り俺達子供のために精一杯のことをやってくれていたのに。身を粉にして働いていたのに。
世間が”親ガチャ”という気持ちが分からない、理解できないよ。親の愛情を知っているから。俺も親になって一生懸命に子供を育てたし、育てた気持ちになっているから。その子供の世代が”親ガチャ”と呼ぶことが理解できない。そりゃ家庭の状況次第で決まりが無いとは分かっていても理解できない。
ガン末期で自宅に帰ってきた父親に求められるまま腕相撲した時のこと。俺も高校生だ、を見せたくて勝ってしまった、父親は感慨深そうにしていた。それを見て能天気に、やった気分になって喜んでいた俺。父親に勝ったら絶対にアカンやん。
母親に認知症の症状が出始めた時、進学する孫にお祝いを渡そうとする母に介護施設の費用に使ってほしくて断り続けた、諦めた母をみてほっとしていた俺。母は子供を育てよう、孫を育てよう、と一生懸命の人生だったのに。母をあきらめさせたらアカンやん。
父・母に謝りたいのに会えない。俺は後悔だけが一生残る。
”親ガチャ”という言葉を聞きながら、父ちゃん・母ちゃんと思いながら一生を過ごす。墓参りしながら思ったこと。
”親ガチャ”って大嫌い!それを受け入れる世間って大嫌い!
父親がガンでなくなる時に、今にして後悔していること。外泊が許されて自宅に帰ってきた時、父の求めるまま腕相撲して、親に、俺もちゃんとした高校生だ、との姿見せようとして勝ってしまったこと。
父親に勝ったらイカンやん、絶対に父親に勝ったらだめ。親の立場になって分かった。
母親に認知症の症状が出始めたときに、親がお金の心配をすることがないようにと俺の頭が回らず、孫娘の進学祝いにまとまったお金を工面してくれたのに断ったこと。母親の介護施設費用に使いたいと断ったこと。母親の気持ちを逆撫でしていることに気づかなかった俺。後悔しかない、馬鹿でしかない俺。
母親の気持ちを大事にしなきゃイカンやん、母親は子供がお金ごときで困らないように・御飯が食べれるように、としかおもっていない。絶対に母の思いに反したらだめ。親の立場になって分かった。
父・母に謝るしかない、けども会えない。自分は一人前と思ったらダメ。後悔しかない。
”親ガチャ”、聞きたくもない言葉
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